ボクの勘はよく当たってきた。勘と呼んでるものだけど実際勘なのかどうなのかは解らない。冷静に突き詰めて理にかなうように考えればある種の統計学でもあったりするものではあるんだと思うけど。まぁよく当たってきた訳だ。だから漠然と「当たる」というよりも「そうなる」という感覚がある。そして統計学として考えれば統計取るには情報が少なすぎる場合でも「そうなる」と感じて実際その通りになっちゃうから「勘は当たる」になってるだけだったりする。


これは子供の頃というか、何歳の何時からなのかは覚えてるんだけど。日付までは覚えてはないけど何歳のどの季節のどの時間だったかは覚えてる。


安易な言葉は不愉快を生む。何で解るの?何でそう言えるの?お前に何が解るんだよ。だけど安易な言葉がいい場合もあるっていう経験をしたから時折安易な言葉を紡いだりしながら。大体確定した答えがあるならボク如きの言葉に惑わされたり迷ったりしないさと思って。

そう思って紡ぐ。

縦の糸も横の糸もボクでも。何時か貴方を、あなたを、誰かを、暖めるかもしれないと。そんな甘ったるい砂糖菓子に蜂蜜位甘ったるい事を考えて。時折ブレーキもリミッターも捨てて紡いだり。


愚かだよねえ。
愚かだよ。



叔父と大叔母を久々に思い出した夜だったり。
淡々と憎しみなんていう感情すら沸かない存在になり果てたのに思い出したり。


そして思うんだ。


哀しいより、憎い方がマシなんだよって。
哀しいや辛いより、憎い腹立たしい方が余程マシなんだよと。


コンデジの水中ケースは見つからなかったけど
遠い昔自分が描いた本を見つけてしまって読みふけっって。そう思った。



足が痛い。昨日8センチヒールミニタイトA4サイズががっつり入る鞄2個持って歩いた距離は地図上で16キロ強。坂道が半端ないから時間にして5時間半歩いた訳だ。そりゃ足も駄目になる。途中ヒール脱いで歩いてたと話したらモニターの中の二頭身キャラの古い古い知り合いに「どんなドラマだよ」扱いされて笑った。確かに安っぽいトレンディドラマならあったようなシーンだなあと。そりゃテンションもおかしくなる。というかおかしくならなきゃ歩けない。馬鹿だなと思いながら歩いて、歩かなきゃどうにもならんのだと思って歩いて。靴にいらいらして脱いで歩いて。


でも歩きながら思ってたのは唯一つだけで。


会いたくて会えなくて恋しい人の名前は
永遠に永遠にこの胸の中



薄っぺらい胸の中じゃ知れてるだろって話ですよね。


それでも今の思いが嘘だっていうんなら
誰かどうぞボクを叩き潰してくださいな、なんて思う夜だったりします。