涙も出ないな。
どれだけ泣いてないかな。
何時から又泣けなくなったのか。






何年か経って、10年位が過ぎ去って、今を振り返って「あーね」と「馬鹿だったよね」と鼻で笑えるようになるのかしら。「若かったわよね」なんて上から目線で思えるようになるのかしら。呆れる程身の程知らずで呆れる程贅沢で。身の程知らずで 贅沢なんだよと知っているから手がつけられない。贅沢なんだよ。身の程知らずなんだよ。なのに変えられないのは愚かだろ。知ってるよ、解ってるよ、でも欲しいものがあるんだよ、じゃあ何が欲しいのよ。 そしてそれは欲しがったとして、手に入るものなの? じゃあ手に入らないなら欲しがらないの?手に入るか入らないかで欲しがったり欲しがらなかったりするものなの?望むのが間違いだとわかったら望まないものなの?何で自分の中の聞き訳が無いクソガキを叩き潰せないかね、いい歳して。いい加減にしろよと あんなクソガキだった頃に描いた漫画のような選択をまさか自分がするハメになるとは思ってもいなかったとボンヤリと思う夜。



なんつーか、限界だとか諦めだとかではなく、潮時ってのがなんにでもあって。
見通せるものもあったりで。


いざそうなった時に何て言葉が返ってくるかって解る事ってあるよね。それが言うところの「見通せる」ってヤツ。見通せるのに何故ってなるとそれは単純に感じたものが当たってたかどうかを見極める為。頭悪いし記憶力も無いクソババアだけど過去の経験やら人を見てきた中である程度見通せるようにはなるし、それが当たらずとも遠からずだったりで、それが間違ってないかどうか知りたいんだ。何で知りたいのか?凄く簡単、「鼻で笑う」為でしかない。ほらご覧よ、ほらやっぱりね、ほら思った通りじゃん、だから最初からそうだったんだよ、何甘えた事考えてたの、何奢ったことを思ってたの、馬鹿じゃねーの。そう、鼻で笑うのは誰かの事をじゃない。誰かがした事でもないし、誰かの言葉でも無い。


愚かな自分を鼻で笑う為だ。


鼻で笑って嘯いても何の救いにもならないし
ぶっちゃけ惨めなだけなんだけど。
皮肉屋なのは遠い昔からで、自分でそう思ってた訳ではないし
今でもそうは思わないけど時々自虐的皮肉は乱用するなと思ったり。


そもそも今があるのはある意味朔望に近い。
今、何で?ってなると朔望だなと思う。
これは何なの?この思いは何なんだろう。
解らなくてもがいて、何を探すの。

納得出来る「これだよ」と言える答えを探してる。
誰かの為だなんておこがましい事を言うつもりはない。
綺麗事並べ立てるつもりもない。
自分が、愚かで馬鹿なボクが納得出来る答えを探してる。
馬鹿でも解る答えを、探してるんだ。


ボクの勘は当たる。外れない自信がある。
外れた事が無かった訳ではないけど、
外れた勘のようなものを抱く事はもう無い。
大体あの時のようにもう一度ボクがなる事って無いと思う。
もう一度あの時みたいになるとしたらやっぱり自分の為じゃないし。
大体自分の事で勘は全く働かない。
当たって欲しくないと願う勘もある。
出来れば外れて欲しいと心底願うものもある。
でもそれもやっぱり自分の為じゃない。
いきなり日差しが差し込んで眩しいなと思う瞬間みたいに頭に浮かぶ見える事。

だからやっぱり今回だって勘は外れない。
未来の事だから?先の事は解らない?確かにそう。そうだよね。
でもやっぱり見えちゃったものはすんなりと侵食してきて。
確信に変わる。
ボクの勘は外れない。
いい事も悪い事も、「そうなる」と眺めて。
出来れば外れて欲しいと願ったり、外れないんだろうなと眺めたりしながら。


勘と、見通せる事がここまでリンクした事が無かったけど
これが外れる事は無いだろう。


無いと解っていて心中するのも酔狂だよなと思ったり
無いと解っているならとっとと踵を返して、背筋伸ばして歩くべきと思ったり。

老いぼれてきた汚い野良が出来る事って
踵返して背筋伸ばして
飢えてても、鳴き声すら出せなくても
悠々と歩く事位しかないんだよと。

野良だもの。そのうちみんな忘れる。
時折「あーいたなー」程度に思い出すだけ。



忙しいな俺。
馬鹿だなあ、俺。