混沌だよなと我ながら思う。

何気なく嘘をつきながら顔色を見て嘘を重ねて気分を害さぬように行動を制限するけれど、限度が来ると空気読まずにするりと抜ける。どうも基本的に野良猫気質が抜けないらしい。そりゃ人付き合いも下手な訳だ。ホステス時代デビューの店のオーナーによく言われた。

「ゆうちゃんは打ち上げ花火みたいな子だから。」

長時間自分をアピールしつつ相手を理解しつつなんて向いてない。直感的なもので最終動く。時間をかけて見極め、小出しにしてなんて本能が拒否する訳だ。敵か味方かなんて見極めではなく、似ているところがあるか、どうか。それだけだ。一箇所でいい、似ていれば其れを拠り所にして近づける。少し歩み寄れば相手も歩み寄るものだと知っている。歩み寄って多少の気を使いながら素でいて歩み寄ってこなかった人がいないせいもあるだろう。別に計算でしている訳じゃない。これも本能のものだ。似ている色を持ってさえいてくれたらその色に自分が持っている近い色を合わせる事ができる。そうすれば薄く浅く広く人の輪は広がる。打ち上げ花火みたいに盛り上げて。でも所詮打ち上げ花火。本当に必要なのは線香花火みたいに光が持続するもので打ち上げ花火はすぐ消える。でも色んな花火があってよくない?と考えホステスをしてた。線香花火は打ち上げ花火にはなれないし、打ち上げ花火は線香花火にはなれない。色んな花火があって店は成り立つ。人間関係は成り立つ。

薄く、浅く、広く。かかわってくれる全てを愛して。

自己嫌悪は激しい。劣等感も激しい。其れさえも頭に浮かばぬ位に薄く、浅く、広く、でいい。濃く、深くなんて欲しいものじゃない。

色々な個性があって、色々な過去があって、色々な考え方があって。曖昧を貫いてきた。曖昧なクッションの役割が好きだし向いてる。苦が無いからだ。苦がそうじゃない役割をするよりも少ないからだ。

楽な生き方って誰にでもあるはずで。逃げるのではなく選択肢である訳で。それにも苦はつきものではあるけど、少しだけ楽だからと選ぶ。チョイスしてやってみる。そうして一日が過ぎる。一週間が過ぎて、一ヶ月が過ぎて一年が過ぎる。

あたしの愛はバーゲンセール
誰でも大好き 誰でも愛してる
誰でもあたしよりは素敵
誰でもあたしよりは美しい


それだけプライド低くしてたら傷つく事も少ない。
無い訳じゃないけど少ない。




今すごく傷ついてる。



ずっと何があってもどうなっても、そうしようと決めた事が思えない自分に腹が立って傷ついている。

冗談が冗談に思えなくなる。

悪夢を見る。


二の腕は大好きだったノースリーブが着られない位に傷まみれになった。
もう夏場でも半そでも着られない。ひじまで袖が無いと傷が見える。傷を見た人の顔で又どこかを切りつけたくなるから着られない。



色々考えてたら久々窪塚したい夜だ。