哀しみっていうのは溢れ出すものなんだと思う。
溢れ出すものは何時か、枯れるんだろうか。




逆説的っていうのは素直じゃないボクには必死の表現方法だったりする。勿論本気で言ってる場合もあるけども大半逆を言ったりしてしまう。答えるまでに時間があった場合、大半思っているのとは逆の事を言ってたりする。反射的に反応した場合は本音だと思う。だから返答した後に後悔するし、人と話すのは苦手。子供の頃からそうだったし、この先もあんまり変わらないんじゃないかと思う。反射的に返答をする場合って相手に全く興味が無いくてどう受け取られても別に気にしないからか、素で返事してるから。人に好かれたいとか、嫌われたくないという感覚より先に立つのは「不快にしたり傷つけたりしたくない」っていう感じ。思いだとか考えじゃなく感じ。なんとなく、ってやつ。…口を開く度に質問三昧、本当の気持ちを口にする度に「人に迷惑かけないようにとっとと大人になれ」って繰り返し言われて育った分その癖を克服するのは容易じゃない。

ソクラテス方式というか、質問に質問で返す癖もそう。結構同じ癖の人が身近にいる。近くにいるっていう訳ではなく、何となく間にある空気が近い感じがする人という意味で。これも難儀な癖だ。天然扱いされる場合もあるし。ボクは時々ボケボケしてるけど天然では無いと思う。養殖でもない。計算で後で指摘されてうわあああってなるような答えはしない。なんつか、天然が可愛いとかはよく解らん。その人の時間の流れがそれなら可愛いなとは思うけど作られたものを可愛いとは思わない。姑息な計算。狡猾な答え。そういうのは時間と酒を売ってるだけとのたまったホステス時代に立派な鉄の仮面被って何度も繰り返した。ただし、天然を装った事は無い。大半周囲は焦るか苦笑いするかの「相手には通じない皮肉」ってやつだった。深く考えた訳じゃなくやり込めてやろうと思って言った皮肉が相手には全く通じず相手が一緒に来てた人には通じて苦笑されてから狡猾に姑息に皮肉を言う事が多かった。勿論、誰もかれもに言う訳じゃない。不特定多数を敵にしなきゃ自分を確率出来ない程賢くは無かったし敵を増やして少数の味方だけを強固にして結束してなんていう操作能力も無かった。大体人にあんまり興味が無いんだから無理だ。…こういうとなんだけど、人にあんまり興味が無いんだよ。ごく少数の人たちにしか興味が無い。嫌いな人が居ないっていうのと同じだ。誰かがしてる行動や誰かの考えが「そういうの嫌いやねん」っていうのはあっても「誰か」個人を嫌いかと尋ねられたら嫌いな人いない。嫌いっていうと通じやすいから使う事はあってもだ。「友達」と同じ。便利だから使うだけ。個人を嫌いだっていう感覚がよく解らない。嫌うパワーあるなら好きな少数に心砕く方がずっといいというか、好きな人でイッパイイッパイになっちゃうから。

だから好きだったけど嫌いになったっていう感覚も解らん。
好きだったけど興味が無くなったっていうのなら解る。
憎しみやら嫌悪に無縁になれるほど悟ってる訳じゃないけど。
興味が無くなる。どうでもよくなる。
何かの拍子に思い出したりはするけど
何がベストなのか、何がいいのか、
自分の感情ド返しにして考えたりはしない。
興味が無い人にそこまで心砕けなくなる訳。


ボクはベースとしてあっさりしてるんだと思う。
人に興味が無いのは親譲り。
まぁ親はボクにも興味が無かったが<苦笑

母親は完璧な理数系で、少しアスペ。本人に自覚があるから笑える。父親は完璧な文系で、少し自己愛性人格障害。こっちは自覚無しだから困りモノ。まぁそう考えていくと誰でも持ち合わせてるんだろうって話。ボクが通ってたビョーインの医者も言ってたし。パーソナリティ障害は誰にでもある傾向が強く出てる、みんな多少は人の気持ちが解らんと悩むもので悩む経験してない人が問題だと。通った数年の間に薬漬けになったのを最後の担当医は薬を減らす事に尽力してくれた。代わりにとにかく何でもいい、アニメでも漫画でも音楽でも仕事でも何でもいいから話す事から始めましょうだった。糖質じゃなかったのが救いだと思う。んでも今怖かったりね。空耳止まらん。携帯を一日何度見るんだって位に鳴ってる気がして。幻聴かなと思うと怖かったり。もうよく解らなくなってる。

通院できなくなるのを伝えた時にはかなり渋い顔をされたけど実際問題お金が無い場合どうにもならん。挙句ボクは暴れて近所の人に殴りかかるわけじゃなかったし。逮捕もされないし強制入院もさせられない訳で。


でも病院いくべきかなーと思ったりする。
寝てなさすぎだし。


月曜からは本当に酷かった。頭痛というよりずっとスパイク履いた小人が頭の中でタップダンス踊ってる感じ。鍋叩きながら。仕事中外に出るのは一服する時。おかげで目が痛いのはそうでもなかったけど。頭の中の小人の首をひねって取ってやりたい衝動。やばいよね。女として終わってるとかどうとかより人としてどうなんだっていうね。人としてもやばくなってねえかっていう。ぽやんと考えたりすると体温が上がってしんどくなって。小人と酸素不足の金魚が交互に頭に浮かぶ訳だ。


胃の調子がイマイチなのはどうでもいい。


何時もより多目にやさぐれて、
ドーダッテイイヨネとか言ってみたくなって。

どーだっていいんなら何で体温上がる程考えて疲れきってなのに考えるの辞められなくて、考えるの止められなくて。何が一番いいのか、どうすべきなのか、どうすればいいのか、止め処なく考えて。色々迷子になって、欲求より、自分より、なんて考えて。別に頼まれてる訳じゃないのに。自分勝手にぐるぐるぐるぐる考えて。


世代の差っていうのは割合の差でもあって、世代によって其れを当たり前に考える人の割合が増えるとか減るとか。今の20代の子って女の子でも普通にクソがって口にする子が増えた。あたしの世代では居ない。ものすごくマズい、めちゃマズい、ちょーマズい、は使っても口に出してクソマズいって言う子は皆無。世代の差ってあるなって思う。

けど何か、何かな。
今日は口に出して
クソが、って言いたくなる夜だ。