誰でも誰だって綺麗なものが好きだし映りのいいものがいい。
見栄えが良くて第三者が羨むようなものがいい。
好き好んで汚いものを近づける人など居ない。
ラクルでそんなパターンがあるとしたら、それはそれを凌駕する何かがある場合だけで。

誰でも誰だって綺麗な部分を見せていたいし、格好つけていたい。
羨まれたり褒められたり愛される方がいい。
汚い声を聞かせて愛される自信なんてない。


誰でも好きな人にそんな一面を見られたくは無い。
愛されている自信があれば別だろう。見せても嫌われない自信があれば別で。
自信があるから見せられる。それでも嫌われない、それでも愛され続ける自信があるから。





ちょっとばかり体調が良くなかったから色々考えた。




技術として知っている事があって、それと同じ事を本能でやろうとする人を見ると答えは両極端になる。かなわないなあと思うか、この程度なのかと思うか。技術として習得している場合、それは理性的で理論として出来上がってるものなので感情が関与しない。判別する時に初めて感情を考慮する。でも考慮するだけ。揺れ幅は何にでもあるから考慮しない訳にはいかないからするだけで全て全て計算の上に成り立つ。全て全て統計上の答えに近しいものになる。例外なんて、逆転なんて、なかなかお目にかかれないんだよ。だから刹那なものに人は感動するんだ。99パーセントチンパンジーなのに1パーセントが働いて感動したり我慢したりする。人は、その1パーセントで出来てる。


でもさぁ、無駄じゃね?俺が丈夫なのと同じで無駄じゃね?
チンパンジーでよくね?とかね。



貧血が酷い。そろそろ限界。
眠れば平気。眠れるかな。眠れるだろ。
人間は、余程じゃない限り、結局寝るし食べる。


ぼかぁ、無駄に丈夫だ。